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大事な時のふしぶしで 登場してくる 「コーヒー」というもの。

(前回の続き)

 大学を卒業し、最初の会社に入ったのが1980年代後半、つまり、バブル景気の、最盛期の始まりだった。会社は、東京・渋谷のど真ん中を本拠地として、ファッションビルの全国展開を図っていた。いわゆるDCブランドファッションの萌芽期・最盛期でもある。

 服の販売に限らず多くの事業を手がける会社であり、私は出版局の雑誌編集部門に配属された。今から考えれば、これが編集者としての人生の始まりだった。

 バブルという好景気のせいか、あるいは渋谷という先端的な雰囲気を漂わせる街だったせいか──今は昔とはだいぶ変わっているそうだが──、またはその両方か、当時、会社のそばには大変おしゃれな、ちょっと値段の高いコーヒーを出す店が多かったように思う。1杯飲むだけで1000円近くするようなコーヒーを提供している店もあった。

 百貨店を中心とする流通グループの会社だったこともあり、バブル期とはいえ、決して私の給料が高かったわけではない。それでも、こうした高額なコーヒーを出す店に、昼食時に、同僚とたまに出かけていたような気がする。若かった私は、コーヒーの味を楽しむというよりも、何だか、つかの間の、優雅そうな時代の気分を味わいたかったのかもしれない。

 

 

 そういえば、学生時代から流行していたのが「カフェバー」という形態だ。会社に入ってからは、先輩諸氏に、六本木や原宿の老舗カフェバーとやらに連れていってもらったこともある。でも、カフェバーといってもコーヒーを飲んでいる人は誰もおらず、(ただの、かっこつけたインテリアの飲み屋ではないか)と思ったりした。あれはいったい何だったのか、いまだに正体がわからないままだ。

 

 

 4年弱勤めた会社を辞め、別の出版社に転職した。確かこの年にベルリンの壁が崩壊したのではないかと思う。

 ベルリンの壁だけでなく、日本ではバブルの崩壊が間近に控えていた。しかし、私が転職した会社は、あまり投資に手を出していなかったためか、深刻な財政状況に陥ることもなく、また、世の中の動きをあまり気にすることもなく、新雑誌の創刊を続けていたように思う。そして私も、数冊の新雑誌の創刊に関わった。

 仕事がとにかく忙しかった。毎日1時、2時以降にタクシーで帰る日が続いた(こうした経費だけはやたらと使えた)。コーヒーを飲むどころか、食事をとる時間もなかったり、ひどい時には長時間トイレに行くのを忘れていたりもした。

 コーヒーとの接点といえば、取材で外出する時ぐらいだった。「ルノアール」を街角で見つけてほっとしたものだ。とはいえ、申し訳ないが、当時はコーヒーより、ゆっくりと休憩(たまに睡眠)しやすいソファタイプの椅子がとても魅力的だったように思う(いや、もしかしたらお店も、そうした椅子の気持ち良さを、当時はアピールしていたかもしれない)。

 

Vol.48より

 

 

                                                                                                                                                                                                    (続く)


PROFILE

くが・ようじ●1962年福岡県出身。

東京大学文学部、立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科、マッコーリー大学大学院(オーストラリア)上級翻訳・通訳学卒。多くの雑誌、書籍、ウェブサイトの企画・制作を手がける。