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映画に引き込む「コーヒー」 という小道具

 四季の珈琲vol.45でニューヨークを舞台にしたいくつかの映画を挙げた。その中の一つ「恋に落ちて」。主演はフリーランスのグラフィックデザイナーのモリーを演じるメリル・ストリープ、建築技師のフランクを演じるロバート・デニーロ。モリーには総合病院に勤める医師の夫が、フランクにはガーデニング好きな妻と二人の息子がいる。役になりきることで有名なこの二人の俳優が演じるラブストーリーである。

 

 まだ見知らぬ同士の二人はクリスマス・イヴの夕方、ニューヨークの大型書店「リゾーリ」で出会う。もちろんこの時点で数か月後に互いにかけがえのない存在になることを知ることはない。モリーは夫に、フランクは妻へのプレゼントに買った本を入れた手提げ袋がぶつかり本が散らばってしまう。慌てて拾い集めて手提げ袋にいれたものの、同じ袋のため二人は間違えて相手の手提げ袋を持ち帰ってしまうことから物語は始まる。

 

 この二人が通勤で使っているのはメトロノース鉄道ハドソン線。ニューヨークのグランドセントラル駅からハドソン川の東側を北上し、終点のポキプシー駅までの29の駅間73・5マイルを走る郊外通勤路線だ。アリーとフランクは偶然にも隣同士の駅。フランクはグランドセントラル駅から数えて14番目のドブズ・フェリー駅。モリーは一つ先のアーズリー駅。昔から恋愛映画には駅は重要な場所である。やがて二人は朝の電車内で二度目の出会いをして急速に心が通いあうようになる。帰りの電車の時間を合わせたり、分別盛りの二人はまるでティーンエージャーのように胸を躍らせて逢引きを繰り返す。

 

 やがてフランクの妻とアリーの夫は二人の変化を悟りお互いの家庭は崩れていくものの最後ははじめて二人が出会った書店「リゾーリ」で再会しハッピーエンドで幕が閉じるといういたってシンプルなストーリーだ。

 

 映画を鑑賞する者を深く引き込むにはいくつかの要素がある。わかりやすく上質なシナリオ。そのシナリオを支えるスピード感、そして生活や登場人物の人柄を感じさせるさりげない小道具などだ。この映画で言うならありきたりの日常に波紋を投じる男女の出会いがシナリオの核となり駅と列車は話の展開にスピード感をもたらす役を果たしている。そして僕が小道具として注目したのはあるコーヒーのシーンである。

 

 モリーには病を抱えた父親がいる。ある日、父の家を訪れたモリーはコーヒーメーカーからマグカップにコーヒーを注ぎ父に差し出す。この時のコーヒーメーカーが美しい。理科の実験室にあるフラスコを思わせるシャープなフォルム、ロココ調のドレスのように中央部分がギュッと絞られ、そこに温かさを感じさせる木枠が巻かれその上をきゅっと革紐で結んでいる。上品で質感が高く機能性に偏っていない。ガラスと木、革紐が組み合わされたこのコーヒーメーカー、どこが製造しているのだろうかと気になり調べてみた。CHEMEXというメーカーで半世紀以上も多くのコーヒー通に愛されているとのことである。そして二人が手にする紺色の染付蛸唐草のような文様があるマグカップ。モリーの実家のセンスの良さを醸し出すこのコーヒーセットを用意した小道具スタッフに感心させられた。このシーンのほかにもわき役としてコーヒーが使われている。グランドセントラル駅でアリーを待つフランクがスタンドのコーヒーショップで大きめの紙のコーヒーカップを手にし、これからアリーに伝える言葉を反復するシーンである。恋に目覚めた初々しい少年のような姿、僕はこのシーンが最も好きだ。

 

 さてこの時のコーヒーカップに書かれた文字は赤い円で囲まれ、その中に黒文字でMARTINSON COFFEEとある。Wikipediaで検索してみる。あまり詳しく出てこないのが残念だけど、Joe Martin が1898年にブルックリンの小さな工場でローストコーヒーを作り始めたのが起源らしい。周辺の人たちはそこから漏れてくるコーヒーの香りを楽しんでいたようだ。その後、MARTINSON COFFEEはホテルや駅のコーヒーショップでニューヨーカーたちに広がり、「Cup of Joe」と呼ばれ今に至るという。僕は独立系コーヒーショップの味を大切にし溌溂と働くニューヨーカーとしてのフランクの矜持をあらわしているように感じた。

 

 最後に二人がハドソン川をのぞむレストランでランチをしている際にウォール街の名前の起こりについてフランクが次のようなことをアリーに教えていた。

 17世紀にこの地がオランダの植民地だったころ、海側からのイギリスの攻撃に備え壁を築いた。このことから、「ウォール街」という名前になったとのこと。

 この話、アリーも僕も知らなかった。

 

 

『四季の珈琲』2017 vol.48

 


PROFILE

はま・きよたか●1949年、神奈川県出身。

数多くのテレビCMや企業のプロモーションビデオを手がける映像界の鬼才。最近では、野菜を使ったアニメーション作品を材料から吟味、自ら制作するなど、マルチな才能を展開している。