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思い出に残る喫茶店

 今年も4月13日、日本で最初の喫茶店「可否茶館」が開業されたその日を記念して上野で催しがあった。開会の挨拶の後、シアトルのコーヒー事情が報告された。その中にアメリカでは近頃、スターバックスやタリーズをはじめとする大手コーヒーチェーンに飽き足らず、独立系のコーヒーショップが静かな支持を集め始めているという話があった。

 

   日本でも様々なコーヒーチェーンが展開され、価格の安さ、デザインされた店舗、立地条件の良さで多くの人々が利用している。その反面、ゆったりとした時間に満ちた古くからある町の喫茶店の影は薄くなっている。アメリカで見られ始めている独立系の小さなコーヒーショップへの回帰はコーヒーと共に時間を共有するひと時を過ごしたいと願う人の気持ちの表れではないかと推測する。

 

 日本ではかつて喫茶店は「たまり場」であった。客が引けた昼下がり、商店街の親父さんが一息つきにやってくる。時間をおかずに軒を連ねた商店の仲間たちが集い、他愛ないお喋りに花を咲かせる。まさにコーヒーブレイクである。一杯のコーヒーを飲み終える頃、おかみさんからの電話で親父さんたちは重い腰を上げて三々五々、それぞれのお店に戻る。学生たちはといえば部活のミーティングなどコーヒー一杯で何時間も喫茶店にねばっていた。ケータイ電話がない時代、行きつけの喫茶店には必ず仲間の顔がそろっていた。喫茶店は学生たちにとって時間をつぶす場所だけではなく情報交換の場でもあった。昨今のメールやブログ、ツイートのような役割を担っていたといっていいかもしれない。

 

 僕にとって思い出に残る喫茶店はいくつかある。その一つが原宿にあった「レオン」だ。それは表参道と明治通りが交差する角のセントラルアパートの1階にあった。当時、セントラルアパートには売れっ子のグラフィックデザイナー、CMディレクター、カメラマン、コピーライター、スタイリスト、ファッションデザイナーたちが互いに惹きつけあうようにしてオフィスを構えていた。

 

   入口を抜けるとパティオがあり、ヨーロッパの古い建物を思わせる雰囲気を持っていた。このパティオに立ち、身体をゆっくりと回転させぐるりと見上げて見る回廊はフランス映画のワンシーンのように感じた。僕と原宿レオンを結びつけたものは全くの偶然だった。実は大学を卒業したものの勤め先がまだ決まっていなかった。

 

 

   CMの制作会社からは受けども受けども不採用の通知が。無残な学業成果しか残せなかったため成績表が要らずしかも自由な雰囲気のファッション業界に狙いを定め、3月の末に滑り込みでやっと採用されたのが原宿にある女性物のファッションメーカーだった。この会社はセントラルアパートからほど近い伊藤病院の裏側にあり、服飾関係の会社が数多く入居し、当時ファッションビルと言われた東京セントラルアパートにあった。

 

   レオンとは歩いて3分程の距離だ。会社には僕と同年代が多かった。若かった僕らは仕事が終わっても決してまっすぐに帰ることはなかった。レオンに行ってはお喋りをしたり、店内でお茶を飲んでいる女性モデルの品定めをしていた。というワケで僕にとってレオンはコーヒーを味わう喫茶店ではなかった。店内にいる最新のファッションに身を包んだ業界人を観察したり、最先端の広告の仕事に関わっているクリエーターたちの匂いを嗅ぐための場所だった。もっともその頃はまだコーヒーが苦手だったので水で薄めて飲んでいたのかもしれないけれど……。

 

 お喋りと笑い声そして時代の先端を突っ走るクリエイティブなエネルギーにあふれたレオンとは違い、小ぢんまりとした静かな喫茶店が表参道を挟み伊藤病院のはす向かいにあった。店の名前は「アビー・ロード」。記憶が曖昧だがその店はまるで城壁のような石の壁を持つBIGIの隣にあり、15人も入れば満席になってしまうくらいの店だったように思う。

 

   しかしここのコーヒーは華やかな薔薇の柄に金の縁取りがされた上質なカップに注がれていたことはまだ覚えている。苦いからと水で薄めてしまうのは憚られるような雰囲気を持っていた喫茶店であった。その点、レオンは薄めようが何しようがあなたのお好きなように……という感じだった。

 

 レオンとアビー・ロード。それぞれ対称的な個性を持っている店だった。喫茶店を訪れる人が求めているもの、それはコーヒーの味だけではなく喫茶店としての味わい深さもあるのではないだろうか。たかが喫茶店。されど喫茶店。自分好みの喫茶店を大切にしたい。

 

 

『四季の珈琲』2012 vol.34


PROFILE

はま・きよたか●1949年、神奈川県出身。

数多くのテレビCMや企業のプロモーションビデオを手がける映像界の鬼才。最近では、野菜を使ったアニメーション作品を材料から吟味、自ら制作するなど、マルチな才能を展開している。