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ヘップバーンとコーヒーの思い出

 「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「尼僧物語」……オードリー・ヘップバーンの1950年代の主演作である。この中でも「ローマの休日」は数えられないほど見ている。グレゴリー・ペックとベスパでローマの街を駆け巡るシーンは特に印象的であった。いや、すべてのシーンが、映画そのものが印象的であった。何度見ても飽きない映画の一つだ。

 

 僕にとってナンバーワン女優は何と言ってもオードリー・ヘップバーンである。この際、他にお気に入りの女優を挙げるなら「パリのめぐり逢い」「あの愛を再び」のアニー・ジラルド。「冒険者たち」「若草の萌える頃」のジョアンナ・シムカス。お気に入りがたくさんで困ってしまう。

 

 オードリー・ヘップバーンの主演作で「ローマの休日」の次に好きな映画といえば「ティファニーで朝食を」だ。早朝のニューヨーク5番街。スクリーンの奥からゆっくりと近づいてくる1950年代のフォード製のタクシー。そのタクシーからヘップバーンが降り立ったところはティファニー本店前。この映画のファーストシーンだ。

 

    まだ眠りから覚めないティファニー本店の前に立ちウインドウに近付く。この時のヘップバーンの歩きが足首まである丈の長いドレスのせいか、それとも朝まで遊んでいた気だるさを表すためだろうかいつ見てもややぎこちなく感じる。ティファニーのウインドウを眺めながら、紙袋からデニッシュをつまみ、口に運ぶ。この仕草、パクつくという言葉がぴったりだ。そして次に紙袋からテイクアウトのカップコーヒーを取り出し一口啜る。

 

    この映画が公開されたのは1961年。この頃すでにアメリカではテイクアウトのカップコーヒーは普通の暮らしの中にあったということに気づかされる。第二次世界大戦前からすでにアメリカではファーストフード産業が存在していたというが実はこのファーストフード、日本では江戸時代からあった。屋台の蕎麦屋、天麩羅屋がそれである。

 

 

   テイクアウトもあった。昭和30年代ころまでは見かけていたお酒、醤油などの量り売りはまさにテイクアウトと言える。とはいえ、テイクアウトのカップコーヒーの出現にはその便利さに感心した記憶がある。

 

 過去を振り返ったついでに制作の打ち合わせで欠かせないスタッフへのコーヒーの供し方を思い起こしてみる。まずはじめは近所の喫茶店からの出前が多かった。次は自社で購入したコーヒーメーカーで作られたコーヒー。電機メーカーが販売しているものだ。たいがいの制作会社はこのコーヒーメーカーを置いてコーヒーを振る舞っていたが、その味ときたら煮つまったようなものが多かった。何時間も熱のプレートに置かれ、コーヒーの香りも既に失せている。色がついているだけで味わいとはほとんど無縁である。

 

    その次は業者のコーヒーメーカー。一カ月いくらかで機械をリースし豆は使った分だけ支払うシステムになっているのだろう。富山の薬売りのような方法であるがこれはなかなか美味しいものがあった。やがてスターバックスやタリーズなどのチェーン展開が始まる。たまたまそれらの店に近い制作会社で打ち合わせをする場合には、若い社員が誇らしい顔をしてテイクアウトのカップコーヒーを我々スタッフに出してくれることもあった。

 

  「どうだ、新しいスタイルだろう!」って自慢気な顔をしながら。蓋を開けるとコーヒーの香りが会議室に広がる。一口啜り、蓋を閉めれば温かさが保てる。喫茶店からの出前のコーヒーはおいしいけれど、コーヒーカップは小さく冷めやすい。お替わりするのも気が引ける。その点、テイクアウトのカップコーヒーはLサイズなら量はたっぷりある。蓋を閉めておけば冷めにくい。味もそこそこ。新しいモノ好きのスタッフにはぴったりである。

 

 話をヘップバーンに戻そう。40年余りに及ぶ女優活動の中でヘップバーンの役どころは王女、花売り娘、大富豪の夫人、本屋の店員、主婦など多彩であった。ハリウッド映画やアメリカのテレビドラマの中でニューヨークのビジネスマン、ビジネスウーマンたちがテイクアウトのコーヒーカップを手に5番街を闊歩するシーンがある。もはや叶わないけれど細身の黒いパンツスーツに身を包んだエリートビジネスウーマンを演じるヘップバーンを見てみたかった。舞台はニューヨークの高層ビルのガラス張りのエレベーターの中。手にする小道具は「ティファーで朝食を」のテイクアウトのデニッシュ、そしてカップコーヒーである。

 

『四季の珈琲』2012 vol.35


PROFILE

はま・きよたか●1949年、神奈川県出身。

数多くのテレビCMや企業のプロモーションビデオを手がける映像界の鬼才。最近では、野菜を使ったアニメーション作品を材料から吟味、自ら制作するなど、マルチな才能を展開している。