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コーヒーカップと連想ゲーム

 昨年の春、関西方面に三泊四日のロケがあった。スタッフは総勢で7名。最年長は勿論、この僕。最も若いスタッフはスチールカメラマンのA君と制作アシスタンのS君。共に30歳。僕のほぼ半分の年齢である。まるで自分の息子たちと一緒に仕事をしている気分だ。

 

   初日の撮影が終わりスタッフそろって一緒に夕食をとる。ビールで乾杯をしたあと焼き鳥、くし揚げなどが片っ端からスタッフの胃袋に吸い込まれていった。若い連中のたくましい食欲に煽られて普段はあまり口にしない脂っこいつまみについつい手を出てしまう。

 

 腹ペコなスタッフは会話もそこそこにひたすら食べる。その合間にビールを喉に流し込む。彼らと同じペースで食べ続けてしまったら正露丸のお世話になりそうな勢いである。

 

 胃袋が満たされてきた頃、やっと会話が始まった。誰からともなく映画の話になり、次に音楽の話。世代はかけ離れているものの映画と音楽の話題は意外と共通点があった。

 

 映画はレンタルのDVDがあり若いA君もS君も自分たちが生まれる前の作品を気軽に見ることができる。音楽はと言えば僕が20代のころに流行った歌をユーチューブやニコニコ動画で見ているとのことだった。映画「三丁目の夕日」のヒット以来、今もまだ昭和の文化がもてはやされている。昭和を知らない若い世代にとって僕が10代から30代にかけて味わった昭和のカルチャーが新鮮だという。

 

 同じ映画のワンシーンに感動したりすることはしばしばあることだけど、音楽、特に邦楽で共感することは珍しいことである。音楽はその人が生きてきた時代の思い出であったり、あるいは証人とも言える。だから同世代の人間同士なら同じ時代を生きてきたという共通項がある。しかし今、目の前にいるスタッフとは何と言っても世代にギャップがある。しかも共感を抱いたその曲は大橋純子と上田正樹のものである。大橋純子の「たそがれマイ・ラブ」、上田正樹の「こわれたコーヒー・カップ」。

 

 二つの曲の中に出てくるこわれたコーヒーカップ。この際、年長者ぶって二人にこのコーヒーカップは一体どのような形で、どのような色だったかイメージをしてみてくれと振ってみた。連想ゲームである。

 

 いきなり胸元に速球を投げ込まれたような顔をしていたA君、S君。大ジョッキのビールをお代わりしながらしばらく考える。「たそがれマイ・ラブ」のコーヒーカップは口のうすい白地に細いラインの模様が入ったもの。

 

 そして「こわれたコーヒー・カップ」は手作り風のごつごつした武骨なマグカップに近いイメージであると。ではこのコーヒーカップの持ち主のコーヒーの飲み方は?砂糖とミルクを使うか、それともブラックか。僕はさらに内角をえぐるカーブを放ってやった。そこまでくるかという顔をしながらも考える二人。他のスタッフも一緒になってそれぞれ思い思いの想像をしながら連想ゲームの輪に入ってきた。

 

 A君、S君ともに「たそがれマイ・ラブ」の方はブラック。「こわれたコーヒー・カップ」の方はミルクのみというA君。S君はミルクに砂糖。では部屋のつくりは……? 「たそがれ〜」は2DKのマンション。「こわれた〜」は木造のアパート。S君、「たそがれ〜」はホテルの部屋。コーヒーはルームサービス。これは面白い発想!。では年齢は? 服装は? 車を持っているとしたら車種は……? 職業は……? 出身地は……? などなど他のスタッフからも二人に次々と課題が振られていった。若い二人のユニークな答えは酒のつまみみたいなものだった。

 

 連想ゲームのネタは眼の前にある現実のものではなく、歌の中に出てくるこわれたコーヒーカップ。二つの歌の作詞家がコーヒーカップをこわさなければこんなにもイメージが膨らみ二時間も盛り上がらなかっただろう。

 

 最後に問いかけておけばよかったことがある。こわれた二つのコーヒーカップのその後の運命だ。「たそがれマイ・ラブ」の砕けてしまったコーヒーカップはあっさりと捨てられてしまったのだろうか……。「こわれたコーヒー・カップ」の方はこわれ具合によってはもとの形に戻されたのだろうか……。

 

 そして最も気になるそれぞれの持ち主のその後は……? 架空の話とはいえ、きになるなあ……。

 

 

『四季の珈琲』2013 vol.36


PROFILE

はま・きよたか●1949年、神奈川県出身。

数多くのテレビCMや企業のプロモーションビデオを手がける映像界の鬼才。最近では、野菜を使ったアニメーション作品を材料から吟味、自ら制作するなど、マルチな才能を展開している。