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トーストとコーヒー。二つの小道具

 ティンバライズ研究会というグループがある。この会の活動テーマは「木を新しい素材としてとらえ、木造建築の新しい可能性を探る」ことである。

 

 数年前、青山スパイラルホールで木造建築のミニチュアモデルや写真の展示会があり、何気なく覗いたのがきっかけで年に数回、事務局からイベントの知らせがメールで送られてくる。この会の中に「木橋研究会」という数名で運営しているグループがあり今年の夏、横浜は馬車道駅近くの海沿いの倉庫のようなスタジオで催されたワークショップに参加した。

 

 建築事務所、建築資材関係者が主なメンバーの中で僕のような職業を持つ者は珍しかった。レクチャーの冒頭に日本では耐震性などの問題から木造建築が減り、不燃化や自動車の発展により昔からの木の橋は数少なくなっているとのレポートがあった。

 

 パワーポイントに海外の木の橋の写真がいくつか紹介されたが、その中で映画「マディソン郡の橋」の舞台となったアメリカの片田舎の木橋があった。

 

 屋根のついたカバードブリッジは周囲の自然と馴染み、素朴でかわいらしい橋である。この映画、日本はもちろん世界中でヒットした作品なのでストーリーはよく知られているはず。一言でいえばクリント・イーストウッド扮するカメラマンとメリル・ストリープ扮する農場の主婦の4日間だけの大人の恋愛映画である。監督は主演を兼ねたクリント・イーストウッド。

 

 二人の名優が主演するこの映画の中で気になるシーンが二つある。まず一つめは、いきなりだけれど雨の中のラストシーン。信号が青に変わり車で街を去っていくクリント・イーストウッドの車。その背後で夫が運転する車の中、彼について行くべきかどうか動揺するメリル・ストリープのどきどはらはらさせる演技だ。

 

 助手席の車のノブを右手で握る。その手に力が加わり僅かにノブが動く。あと3センチ動かせば確実にドアは開く。開いたドアから今にも彼の車を目指して走っていくのではと思わせるメリル・ストリープ。切羽詰まった表情。彼のもとへ行くべきかここに留まるべきか揺れる心。あふれる涙。果たしてこの演技、監督であるクリント・イーストウッドの注文なのか、あるいはメリル・ストリープのアイデアか……。 

 

 そしてもう一つの気になるシーン。映画の中を ラストシーンから1時間ほど遡る。自宅で一夜を共にした二人。翌朝の食事の場面である。いかにもアメリカの田舎町の農家らしい素朴なダイニングキッチン。決して豊かではないけれど生活感が漂っている。ビニール張りの椅子に囲まれたテーブルには透明で厚めのビニールクロスが敷かれているようだ。テーブルの上に二人分の食事が用意されている。

 

    大皿にのっているのはスクランブルエッグだろうか、それとも豆の煮物だろうか。焼きたてのトーストを口に運ぶクリント・イーストウッドの後ろに立ち、じっと背中を見つめるメリル・ストリープ。足元をみると素足である。トーストをもう一枚差しだす。コーヒーのおかわりを聞く。この間の気ぜわしい動き、足の運びは心の動揺なのか……コーヒーを注ぎ終わる。キッチンによりかかりコーヒーを飲むクリント・イーストウッドを見守るようなメリル・ストリープ。背後の視線を感じさせないクリント・イーストウッド。焦げたトーストとコーヒーの香りが二人だけのダイニングキッチンにただよう。

 

 トーストとコーヒー。この二つの小道具がここまで空気のように使われた映画は多くはない。間もなくおとずれる破局。この場のコーヒーに敢えて空気以上に意味を持たせるとしたらなんだろうか。長い時間の中で人と馴染み渋さと柔らかさを見せてくれる木造建築。コーヒーも人生のせつなさをにがみに託して教えてくれているのだろうか。

 

 

『四季の珈琲』2013 vol.37


PROFILE

はま・きよたか●1949年、神奈川県出身。

数多くのテレビCMや企業のプロモーションビデオを手がける映像界の鬼才。最近では、野菜を使ったアニメーション作品を材料から吟味、自ら制作するなど、マルチな才能を展開している。