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オーストラリアと日本のコーヒーの歴史を比較する

日本とオーストラリアのコーヒー飲用の歴史は似ている部分が多い。

今回は両国でコーヒーが飲まれるようになった歴史を振り返りながら、

オーストラリアでコーヒーが人々に受け入れられるようになった経緯を

2度にわたって見てみたい。

 

 

 

 

 1788年から始まる

 

  オーストラリアにコーヒーが持ち込まれたのは、1788年にさかのぼる。この年の1月18日、イギリスからオーストラリア・ニューサウスウェールズ植民地であるボタニー湾に、11隻の船団が派遣された。これらはファースト・フリート(The First Fleet)、「最初の植民船団」と呼ばれ、オーストラリア大陸におけるヨーロッパ人最初の入植者となる。この時、コーヒーも持ち込まれた。しかしこの時持ち込まれたコーヒーの品質には疑問があったとされている。

 一方日本では、1788年天明8年になる。18世紀には長崎県の出島にオランダ人がコーヒーを持ち込んだとされ、ごく一部の人が飲んでいたにとどまっている。

 しかしオーストラリアでコーヒーが一般的に普及し、飲まれるようになったのは1950(昭和25)年頃からだ。それまでは1908(明治41)年にネッスル社のオーストラリアブランチが設立。1938(昭和13)年にスイスでネッスル社がインスタントコーヒーを商用開発化した10年後の1949年に、オーストラリアでインスタントコーヒーを販売、という程度の事象しか見当たらない。ネッスル社のコーヒーは紅茶からコーヒーをというコンセプトで広告が新聞に掲載された。

 

 コーヒーのいれ方がわからない

 

 もちろんコーヒーを普及させようという動きがあった。しかし第二次世界大戦前のオーストラリアにおいて、コーヒーは高価で一方、紅茶は安く手に入るという経済的な事情もあり中々普及はしなかった。もちろんイギリス文化である紅茶文化を色濃く反映しているからでもある。

 また1870年代のメルボルンにはコーヒーの屋台があった。軽食なども一緒に提供されていたが、当時の状況を説明している文献によると、夜働く労働者や映画館などに遊びに行く人たちに利用されていたようだが、ネズミなどが発生するなど、不衛生なため、1920年には廃れてしまったという。

 また1939年に発行された『The Australasian Grocer』の中で、コーヒーを商売として始めたErnest Singerという人が当時のオーストラリアの飲用状況を記している。

 それによると、日常に紅茶ではなくコーヒーを飲むということを習慣化させるには、まずコーヒーの正しいいれ方をオーストラリアの人は知らなければならないとある。当時は、紅茶のように入れたり、コーヒーそのものを煮出してしまったり、また、ミルクやマスタード、卵の殻などと一緒に煮だしてしまうからであると書かれていることからも、当時コーヒーをどのように入れていいのかわからない様子が伝わる。

 これは日本でも同様であり、雑誌などではコーヒーのいれ方が何度も記事になっていたほどだ。卵の殻を入れてコーヒーを入れるという方法も日本の雑誌では戦前紹介されていた。

 

 1990年代からの変化

 

 そして1950年から品質のいいエスプレッソコーヒーがオーストラリアで飲まれるようになる。それはヨーロッパから、特にイタリアからの移民がもたらしたからである。1950年は日本では昭和25年である。これは日本ではコーヒーの輸入が再開された年でもある。日本ではこの年を境にコーヒーは国内に普及していく。

 オーストラリアのコーヒー文化が発展したのは、1990年代後半から2000年代初期とされている。エスプレッソコーヒーにきめ細やかに泡立てたスチームミルクを注いだ「フラットホワイト」、エスプレッソコーヒーを「ショートブラック」、エスプレッソにお湯を入れた「ロングブラック」という独自のネーミングのコーヒーが誕生している。日本でも同様にドトールなどのセルフサービスのカフェが誕生したのが1990年代。スターバックスの進出などもあり、女性の支持も得て、躍進した。

 次回はさらに詳しくオーストラリアでコーヒー文化が根付いていった経緯を紹介してみたい。 

 

『四季の珈琲』2015 vol.41