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コーヒーは幸せな瞬間より切ない瞬間にぴったりの飲み物かもしれない

   前号39号の原稿を編集者に送付しておよそ半月後の11月10日、高倉健さんは亡くなられた。

 

 今も池袋の文芸坐では健さん主演の映画がかかり追悼プログラムが続いている。文芸坐といえばかつてオールナイトで健さんの映画を上映していた名画座だ。僕もよく深夜映画で「昭和残侠伝」「網走番外地」「緋牡丹お竜」など任侠映画を観によく通った。封切り直後の東映の映画館で任侠映画を観るよりも文芸坐の方が熱気に満ちていた。堪忍袋の緒が切れてなぐり込むクライマックスでは「健さん、うしろから来るぞ!」という掛け声が館内に響いた。あの頃は「朝までつきあってやる!」という気合のこもった観客で埋まっていた。

 

 おこがましい話だけれど健さんと僕には一つだけ共通点がある。健さんが学んだ明治大学と僕が学んだ(実際は学ぶほど大学に通っていなかったけれど)中央大学は共に御茶ノ水にあったことである。大通りを一本隔て二つの大学は御茶ノ水にでんと構えていた。残念ながら中央大学は僕が卒業して数年後に移転してしまったが。健さんは明治大学商学部に籍をおいていたという。その当時、慶應の経済、早稲田の政経、中央の法科、そして明治の商科といわれ健さんが学んだ商学部は明治大学の看板学部であった。学生時代の健さんはどこに住んでいたのかわからないが大学の近くに下宿していたのかもしれない。

 

 横浜の自宅から通っていた僕にとって御茶ノ水への行き方はいろいろあった。東横線の渋谷で山手線に乗り代々木で総武線に乗り換え御茶ノ水に。あるいは新宿から中央線で御茶ノ水。他に中目黒から地下鉄を乗りつぐ行き方もあった。もう一つ、誰もあえてとらないであろうというルートがあった。渋谷から順天堂病院行きの都バスで御茶ノ水というルートだ。

   

   四谷経由と平河町経由の二つの経路があって、僕はもっぱら平河町経由を利用していた。渋谷を出て仁丹の看板が見える宮益坂上まで上る。青山一丁目あたりから東宮御所の長い塀塀と豊川稲荷を左に見ながら緩やかに下る。すぐに見えてくるのが谷に架かる橋のような赤坂陸橋。渡りはじめるとパノラマサイズに視界がひろがる。陸橋を越え、永田町を過ぎ三宅坂を下る。内堀が見えはじめる坂の途中でバスは大きく左に曲がる。永井坂、袖摺坂、御厩谷坂を通り靖国神社を左にして走ると間もなく下りの九段坂。つらなる古書店を過ぎ、ゆるやかな明大通りを上がるとやっと御茶ノ水駅。上がったり下がったりのバスの旅である。

 

 御茶ノ水といえば昔も今も学生の街。学生が大勢いれば喫茶店が繁盛する。健さんが大学に通っていた昭和20年代の後半、御茶ノ水界隈に喫茶店がいくつあったのだろう。昭和30年代に入り「穂高」という純喫茶が開店した。「穂高」はJR御茶ノ水駅の聖橋口と御茶ノ水口の二つの改札口をつなぎ線路と平行する茗渓通りにある。僕も数回はいったことがある。「穂高」から御茶ノ水口に進むと左側にヨーロッパの古城か大聖堂を模した大きな喫茶店があった。かつて盛り場にこのような大規模の喫茶店をよく見かけた。三階か四階まであったこの店、現在はいろいろな飲食店が入っているが尖塔とステンドガラスはそのままである。

 

 この喫茶店ほど大きくなさそうだけれど健さん主演の映画「あ・うん」で心に残る喫茶店のシーンがある。「あ・うん」は向田邦子の長編小説。時代は昭和初期。製薬会社のサラリーマンの水田仙吉と親友の実業家門倉修造、門倉がひそかに想いをよせる仙吉の妻たみ、仙吉夫婦の一人娘さと子を中心にした支那事変前夜の庶民の暮らしを描いている。

 

   健さん扮する修造がさと子と待ち合わせた喫茶店。ここに誘ったのはおそらくさと子の方だろう。一階には暖炉の火が赤々と燃えている。二階の席で話しながらコーヒーを飲む二人。さと子は親にうそをついて恋人とこの店で初めてコーヒーを口にしたことを修造に打ち明ける。その恋人との別れを胸に秘めながらさと子は「うそにはコーヒーがよく似合うのかしら」と修造に問いかける。

 

    健さんの大きな手につつまれるコーヒーカップ。健さんと一緒にさと子の話を聞いているかのようだ。わりきれない想いに葛藤するさと子。親友の妻への想いを断たなければと苦悶する修造。「人生にはあきらめなくちゃならないことがあるんだよ……」。修造が自分に言い聞かせるかのように諭すさと子への言葉。言い終わってからコーヒーを飲み天井を見上げる修造の潤んだ目。二人の手におさまるコーヒーカップを見て思う。コーヒーは幸せな瞬間より切ない瞬間にぴったりの飲み物かもしれないと。

 

『四季の珈琲』2015 vol.40


PROFILE

はま・きよたか●1949年、神奈川県出身。

数多くのテレビCMや企業のプロモーションビデオを手がける映像界の鬼才。最近では、野菜を使ったアニメーション作品を材料から吟味、自ら制作するなど、マルチな才能を展開している。