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歌の中に描かれた女と紀子。2つの異なる生活で飲むコーヒー。どちらに幸せを見出すのだろか。

 先日、撮影のために昭和30年代のレトロな雰囲気を持つ住宅を探すロケハンがあった。スタッフ一同それほど苦労しないで見つけられるだろうと思っていたが甘かった。10軒ほど見たがなかなかイメージに合わなかった。

 

   昭和30年代というと僕と同年代のスタッフにとって小学生の頃。移動の車中でテレビが初めて家に来た時の話、アメリカのホームドラマに出てくる豊かな暮らしへの憧れ、プロレスの力道山が戦う姿を観戦して興奮したことなど懐かしい昭和30年代の話題で盛り上がった。

   

   あの頃のテレビでスポーツ観戦と言えば今あげたプロレスに読売ジャイアンツの川上 哲治が活躍した頃のプロ野球、それにプロボクシングだろう。世界フライ級チャンピオンのポーン・キングビッチと対戦して世界チャンピオンに上り詰めたファイティング原田。その時、弱冠19歳。その3か月後、バンコクで行われたリターンマッチでは今度はポーンが試合巧者ぶりを発揮し、ファイティング原田は際どい判定ながら王座陥落。その後、減量苦からバンタム級に転向し2階級で世界チャンピオンに上り詰めた彼はボクシングファンだけではなく日本中から喝采を浴びた。試合前、いつも減量に悩まされていたファイティング原田。減量苦は多くのボクサーについてまわるものだという。

 

 ファイティング・原田の登場からおよそ5年後、日本ボクシング界に新たなヒーローが出現した。矢吹 丈である。劇画『あしたのジョー』の主役だ。ジョーも体の成長に伴い減量と戦った経験を持っている。灯油ストーブを何台も置いた狭い部屋で必死の形相でトレーニングに励み、飲まず食わずで体重を減らし続けるジョー。僕たちがボクシングに魅かれるわけはこのストイックさにあるのかもしれない。勿論それだけではない。時には不利な形勢から一発で相手を倒す逆転劇。誰もが確信した勝利が思わぬ判定に覆される意外性。肌の色による差別かと疑いたくなるような理不尽な判定……ボクシングは見るものを釘付けせずにおかない筋書きのないドラマだ。

 

 ジョーの話は2年前の本誌31号に記した。ジョーを慕う林食料品店の看板娘である紀子とジョーの最初で最後の喫茶店での話だった。ジョーとのことをあきらめた紀子は西 寛一に嫁ぐ。かつて西はジョーが収監された少年院のボスだった。西は出院後、丹下ジムでジョーと共にプロボクサーとしてデビュー。リング名をマンモス・西と名乗った。戦績の上がらない西はやがてボクサーをあきらめ林食料品店に勤めて主人から信頼されていく。

 

 紀子と西は教会で結婚式をあげた。神父の前で神妙に指輪を交換する二人。紀子の左手のくすり指にエンゲージリングがぎこちなく入る様子を来賓席で静かな目で見つめるジョー。数時間後、祝宴でのジョーのスピーチに顔色一つ変えずに聞き入る紀子。口元に僅かにほほえみを感じさせているが心ここにあらずというように遠くを見ているような冷めたその表情は主役としての華やかさとはかけ離れたものだった。今から40年以上も前に劇画のこのシーンを見た時、女はなんてドライな生き物なんだと思ったものだ。

 

   つい数か月前までジョーと一緒になりたいと思いつめていたのに平穏な毎日を大切にする西のもとにあっさりと方向転換をしてしまう。あっさりと、と書いたが人の心は本の次のページをさらりとめくるように簡単に変えられるものではないと分かるようになるには僕自身、多少の年月が必要だった。ひたむきな西の努力で林食料品店は前にも増して繁盛してきた。日が落ちて店を閉めたある日、ジョーが日本武道館で世界チャンピオンのホセ・メンドーサとタイトルマッチをおこなう新聞記事を茶の間で見ている西に紀子はコーヒーのおかわりをすすめる。

 

 劇画のこのシーンを思い出し、ふと竹内まりやの『駅』が頭の中をよぎった。たそがれ時に駅で見かけたかつての恋人の姿。彼が乗った隣の車両からこみ上げる思い出に浸りながらみる横顔。やがてドアが開き人波の中にまぎれていく後姿。しかし自分は次の駅で電車を降り家に帰り、ありふれた生活を続けるというサビの部分である。

 

 この歌の中に描かれた女と紀子は二人とも平穏な日常を選んだ。

 

 波乱をふくむ男と飲むコーヒー。ありふれた生活をおくる男と飲むコーヒー。どちらのコーヒーに女は幸せを見出すのだろうか……。

 

 

『四季の珈琲』2016 vol.42

 


PROFILE

はま・きよたか●1949年、神奈川県出身。

数多くのテレビCMや企業のプロモーションビデオを手がける映像界の鬼才。最近では、野菜を使ったアニメーション作品を材料から吟味、自ら制作するなど、マルチな才能を展開している。