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コーヒーはいろいろな役割を持つ。あなたにとってのコーヒーは? 

 先日、新しいパソコンを買おうかと思い秋葉原に行ってきた。日曜日ということもあってかすでにJRの改札口付近は多くの人でごった返していた。

 

   日本人と外国人の割合は五分五分ではないかと思うほど多くの外国人が秋葉原を訪れていた。因みに秋葉原のことを海外では「エレクトリック・シティ」と言うそうである。話題の「爆買い」の観光客もいた。20人ほどのグループで行動し、家電製品が入った大きな包みを抱え、たった今でてきたばかりの量販店を背景に自撮り棒で家族そろっての記念撮影。購買意欲へのエネルギッシュなパワーはいつまで続くのだろう。

 

 多くの外国人観光客があふれている割には航空会社のショルダーバッグをかけている人は誰一人としていない。かつて各航空会社はロゴ入りのショルダーバッグを販売し観光客は自分が利用した航空会社のショルダーバッグを誇らしげに肩にかけて歩いていたものだ。エール・フランス、KLMオランダ航空、スカンジナビア航空、そしてパンアメリカン航空。これらはみなナショナルフラッグと言われていた航空会社。なかでも我々日本人の一番人気はパンアメリカン航空、通称PANAM(パンナム)。

 

   まだ円が1ドル360円の頃の1961年、大相撲の賛助にパンアメリカン航空賞の授与を開始。千秋楽、結びの一番のあと優勝力士に賞状を授与するPANAMの極東地区支配人、デビット・ジョーンズの「ヒョ〜、ショ〜、ジョォ〜」という独特の口調に館内はおおいに湧いた。今なら確実に流行語大賞である。このPANAMのオフィスは丸の内にあった。ガラス越しに目の前が内堀。PANAMのロゴが見えるこのロケーションはドラマや映画でしばしば使われていた。

 

 着陸するPANAMの飛行機から出てくる恋人を待つ映画があった。「あの愛をふたたび」。日本での公開が1970年。僕がフランスの恋愛映画に明け暮れていたころだ。主演は映画音楽の作曲家アンリ役のジャン・ポール・ベルモンドと主演女優フランソワーズ役のアニー・ジラルド。本誌35号で僕のお気に入りの女優の一人としてあげ2011年に亡くなったアニー・ジラルドである。監督はクロード・ルルーシュ、音楽はフランシス・レイ。どちらもフランス映画界の巨匠だ。

 

   ストーリーはアメリカ西海岸に撮影にやって来たフランスの女優と音楽家のつかの間の恋物語。日がたつにつれアンリとフランソワーズはそれぞれ家庭がありながら強く魅かれあう。二人は撮影が終わったら共に暮らすことを約束しパリとローマの中間にあるニース空港で落ち合うことにした。しかしアンリは自宅に戻り妻の顔を見るとフランソワーズと交わした約束などなかったかのように心変わり。一方それとは知らぬフランソワーズは夫との修羅場をこえてニース空港に。

 

 PANAMの機体がゆっくりと降下。出迎えのデッキに立つフランソワーズ。機体の前の扉に向かってタラップが近づく。扉が開く。乗客が降りはじめる。待ち人はなかなか姿をあらわさない。食い入るように乗降口を見つめるフランソワーズ。期待と不安をかき混ぜるかのようなフランシス・レイの音楽。彼女の期待を打ち消すように最後に出てきたのはパイロットとスチュワーデス。フランソワーズの視線は後部の乗降口に移る。そこにも待ち人の姿をみつけることはできなかった。あさはかな自分をなじるように一瞬、口元をゆるめる。恋人を失う悲しみにあった時、人は涙の代わりにかすかな笑みを見せることがあるものだとこの映画はおしえてくれた。

 

 僕の勝手な解釈ではこの映画のクライマックスはアンリを待つ空港のデッキのシーンではない。彼と約束した飛行機の到着時間までフランソワーズが空港のカフェで待つわずか数分の時間である。大きなガラス越しのカウンター席でコーヒーをすする。煙草をくわえる。視線が定まらないフランソワーズのせわしない動き。このシーンのカメラワークが揺れるフランソワーズの心の奥底をあらわしている。クロード・ルルーシュ独特のゆらゆらと漂う手持ちカメラだ。ガラス越しに行き交う人が映る。カメラ前を人がよぎる。喧騒の中の孤独。もしかしたら来ないかも……というフランソワーズの不安な心がレンズを通して伝わってくる。到着時間がきた。コーヒーカップをカウンターに置き、フランソワーズはデッキに向かった。

 

 コーヒーはいろいろな役割を持っている。ある時は会話を盛り上げる。またある時は気まずい時間をとり持ってくれる。しかしフランソワーズにとってカフェで口にしたコーヒーは味などどうでもよい時間つぶしの相手でしかなかった。

 

 

『四季の珈琲』2015 vol.41

 


PROFILE

はま・きよたか●1949年、神奈川県出身。

数多くのテレビCMや企業のプロモーションビデオを手がける映像界の鬼才。最近では、野菜を使ったアニメーション作品を材料から吟味、自ら制作するなど、マルチな才能を展開している。